リタリンを飲んだ試験

最後に受験をした時、私はリタリンを飲んで試験に臨んだ。

その年、私はセンターの得点率が92%、後期の志望校に傾斜配点すると96%になった。センターリサーチの結果、後期の志望校における得点順位は、上から8番目だった。あまり傾斜配点が有利に働かず、二次試験の科目数が多い前期がダメでも、後期の志望校の試験科目は英語のみだったから、大失敗するはずはない。もう合格はまちがいないだろうと思った。センターリサーチの結果を見た母も喜んだ。

しかし、試験日が近づくにつれ、私の緊張症はより深刻度を増していった。合格を目の前にしていたことが、プレッシャーを増加させたのかもしれない。試験当日まで、過去問で準備をするべく机に向かうのだが、勉強を始めようとした途端、肩から背中にかけて濡れた紙を貼り付けられた様な違和感が生じて、何も集中できなくなった。それまでは、勉強中に起こる問題といえば、解答に集中する代わりに、残り時間や周りの風景、雑音が気になってしまうことだったのだが、今回はそれとも違っていた。他の何かを気にすることもできなくなった。頭が全く働かなくなった。

今思うと、それが本格的な鬱症状の始まりだった。

当時私は精神科に通い、眠剤と、試験の時に動悸を抑える薬をもらっていた。この精神科で、新たな症状について相談したところ、本当はのませたくないんだけど、と前置きをした上で、リタリンを処方された。ほんの数粒だったと思う。それを飲むと、それまで私を覆っていた憂鬱感は消えていった。粘性の高い汚泥の様につきまとっていた不安が消えていき、自分への肯定観が心に溢れてきた。服用した私自身、このように便利な薬があるのかと驚いた。なぜもっと早くこれを処方してくれなかったのかと思わさせられた。

ただし、その効き目は、あまりにも正確だった。薬の効き目が切れる瞬間が、自分でも分かるのだ。なめらかに動いていた体が、油の切れた機械の様に、何かぎこちなく引っかかるような重たさを含んで、動かせなくなってしまう。心の中も同様だった。一旦分解されたはずのヘドロが、私の周囲にふたたびまとわりつき、私を黒い泥の中に沈めていった。そして完全に切れるころには、私は、元の状態より、更に深い泥の淵をさまようことになった。重たい体で泥の中を這いずり回っても、出口は見つからなかった。…だから、薬が切れることは恐怖だった。切れる瞬間が怖かった。最初の2回ほどの服用でそれを知ったので、私はもらったリタリンを普段はなるべく使用しないようにしたが、試験勉強のため、一日に1〜2粒は飲む必要があった。

テストの前日はプレッシャーで眠れない。たしかあの日も、私は大量の眠剤を飲んだ。詳しくは覚えていないが、ハルシオンデパスを普段の3倍程度飲んだと思う。ただしサイレースは使用しなかった。眠剤に詳しい人なら知っているだろうが、サイレースは効き目が強く、長時間にわたり効果を維持する。その強さ故に、現在アメリカへの持ち込みが禁止されている睡眠薬だ。実は私は、この受験の前に、後年卒業した大学ではない、別の私大を受けていたのだが、その時はサイレースoverdoseし、試験時間中眠り込んでしまった。その際の教訓で、この日は短時間で効き目の消える薬ばかりを大量に飲んだのだ。その甲斐あって、当日の朝は、まあまあの覚醒を得ていたが、鬱による無力感は相変わらずだった。そのままでは、とうてい何の思考作業もできない。私は、当初の予定通り、リタリンを飲んで試験に臨むことを決めた。試験時間中に作用が最大になるように逆算し、試験会場に向かう道すがら、ペットボトルの水で服用した。

予想通り、試験時間中にリタリンは効いていた。階段教室の真ん中あたりの席で、私は、軽やかに試験用紙に向かった。いつも通りの緊張症はあった。試験時間中、周りの人の咳、教室中に響き渡る受験生のシャープペンシルの音、近づいてくる試験官の存在、そして刻々と減っていく解答時間の変化を常に気にかけていた。しかしそれは、今に始まったことではなかった。14歳の時から続いていた症状だ。このようなハンディを抱えた上で、ベストな点数を取ることが私の目的だった。

この日の私は、やはり緊張はしていたものの、リタリンのおかげで、いつになく爽快な気持ちだった。私は空中に浮かんでいるかのような離脱感を抱いていた。雲の上から見る答案の英文は、まとまりのない単語の羅列に見えた。私は、それらの単語を頭の中に放り込み、自分なりの咀嚼を試みた。そして、自分なりの答えを書き込んだ。

試験が終わり、受験生たちは校舎を後にした。最寄り駅まで細い道が続いていて、さきほどまでの受験生たちが、2列ぐらいに並んで歩いた。互いに知人らしき受験生たちは、雑談を交わしていた。後期試験の後である。そこにいる人たちの、殆どが、結果はともかく、その年の全ての受験からの解放感を味わっていただろう。しかし私は違った。私は駅にたどり着く直前で、薬が切れようとするのを感じた。忘れていた体の重さがよみがえり、心がまた泥の縁に埋められようとしていた。磨りガラスから見上げたかのように外界を眺めながら、電車に乗り込んだ。手元にリタリンは残っていたけれど、もう飲む必要はなかったし、切れた後の苦しみをまた何度も味わうのは嫌だったから、何も飲まなかった。

その後の事は覚えていない。自宅まで帰り、数日過ごした後、合否の電報も届いたはずなのだが、何も覚えていない。不合格と知った瞬間さえ知らない。おそらく自宅に戻った時には、私は本格的に深刻な鬱になっていたのだろう。さらに、リタリンを抜いたことによる苦しみが襲った。薬を抜くつらさとは、このようなものかと知った。後年、Trainspottingという映画で、主人公が自室に籠もり、ドラッグを抜くシーンがあるが、それを見て妙に共感したものだ。

私の場合は禁断症状だけではなく、深まり始めた鬱の苦しみもあったろうが、リタリンが切れた後に始まったこの苦しみは、そもそもリタリンを飲み始めたことに起因しているのだろうと思った。鬱の症状がここまで進んでしまったのもリタリンのせいなんじゃないか。もう二度と飲みたくはない。

だからそれ以降、私はリタリンを飲んだことはない。今は鬱病になっても処方されなくなったと聞いている。私も今後、また鬱になることはあるかもしれないが、それでいいと思う。飲みたくはないし、飲まない方がいいだろう。

ところで、家路についていた時点で、このときの受験結果が不合格であろうことに、私は薄々気づいていた。リタリンを飲んだときの思考は、普通ではない。確かに気分は高揚するけれど、それと論理的な思考能力は別なのだ。テンションの高い人が、非論理的な物言いをする姿を見たことのある人はいるだろう。それと同様に、本人は明瞭なつもりだけれど、客観的には、正確な状況認識が出来なくなっているのだ。私の英語の解答内容も、やはり何かピントのずれた内容だったのだろうし、または、全く英文の内容を把握できていなかったのかもしれない。