何のために浪人するのか

進学校と言われる高校に通った人にとって大学に行くのはデフォルトだから、「何のために大学に行くか」なんて野暮な問いをするつもりはない。それより浪人、特に2浪以上の多浪までする場合「どうしてその大学を受けるか」というのが重要になってくる。よく予備校で「浪人すると不利だ」「多浪は就職できない」と言われる。私は会社員という人生を考えたことがなかったので、それらの言葉がいまいちピンと来ず、とりあえず行きたいところがあるんだから受かるまでがんばる、としか考えていなかった。しかし、職業を持ち、独り立ちすることを考えたとき、多浪は不利、というのは、実際その通りなのである。

浪人すれば、それだけ、選択肢は狭められる。1浪で有名大学に行けたなら大して問題なかろう。しかし2浪になると有名大学に行く旨みは減ってくる。端から見ると二浪は格下に見られる。本人は滑り止めのつもりでも、事情を知らない人からは「二浪してようやく○○大」という烙印が押される危険もあるのだ。また実生活で問題となるのは、同級生と友人になりづらいことだ。私は都心の予備校で過ごした後、私立大学に入学したが、そこでは大半が現役だし、地方から来る子たちも多くいた。そして私はその子達と全く話が合わなかった。いまさら高校の話をしたり、あの人と目があっただの、幼稚な会話をしなければならない。私は少数派だから、そのような彼らに話を合わせなければならず、入学当初は辛かった。多浪すると友人を作るのが困難なのは、覚悟した方がいいだろう。ただ、この問題は時間が解決してくれる。理系の場合、実験で皆と始終一緒にいることになるから、嫌でもうち解けてくる。文系ならばサークルで友人が出来るかもしれない。一年生を終えた頃には、彼らも様々な経験を積み、大人になっているから、溝は埋められてくる。

しかし三浪となると、また世界が違ってくる。東大文3に三浪で入った私の予備校時代の講師は、授業の中でしみじみと「東大に行っても楽しいのは二浪までです」と言っていた。日本の場合「キャンパスライフ」には、同世代の若者と過ごすという意味も含まれている。だから大学生活を楽しみたいのならば、とりあえず二浪くらいで目の前の大学に進学しておく方がいいだろう。周りはバカだらけだと思うかもしれないが、自分も客観的にはそのバカの一人である。そこは割り切って、生活を謳歌した方がいい。どうしても第一志望の大学に行きたいのならば、院試を目指した方がよほどいいはずだ。

また、三浪すると就職の年齢制限にひっかかる。これは生涯にわたって致命的なデメリットとなる。研究者を目指せば、そのデメリットも少しは緩和されるが、実は研究者にも学振(好きな研究をしているだけで助手より高い給料がもらえる旨みのある制度)とか、若手向けの各種奨学金など、年齢制限のある制度に出せる時期が減るなどデメリットは多く、浪人経験がプラスに働くことはない。多浪を決意する時は、希望する大学に入りたい一心で他の選択肢は考えられないだろうが、そのデメリットは、本人が考えている以上に大きい。だからなぜ多浪してまで拘る必要があるのか。決断する時には、その辺りを一度考えて見た方がいい。

そして浪人するにあたっては、自分の能力的な問題をよく考えなくてはならない。他の人は高校3年で受かる大学に、なぜ自分は4年以上必要なのか。それを考え直すべきだ。高校で十分に勉強したのに、その大学に入るための学力が足りなかったとしたら、それは、そもそも自分の実力には合わない大学を受けようとしているのであって、無謀な試みでしかない。明らかに勉強のスタートが遅かった、個人的な問題をかかえていて集中できなかった、などの理由がない限り、浪人を続けても生涯にわたるデメリットを増やすだけである。ただし私は地方の県立高校を出たので、地方公立出身者が、都会の中高一貫あたりと渡り合えない現状はよくわかる。だから地方公立出身者が難関大学を受ける場合、1浪くらいは仕方ないと思う。

しかしながら、ひどい鬱や神経症など、心の病を持っている人は、もちろんその限りではない。若くして病気になった人間は、健康な人と同じように戦おうと思ってはならない。病を抱えた時点で、健康に受験戦争を勝ち抜ける人達とは、違う道を歩まざるを得ないのだ。だから、病気を飼い慣らしながら、時間にゆとりを持って進学計画を立てるのは仕方がないだろう。もちろん年数がかかった分、デメリットはつきまとう。一部上場企業に新卒で入社、という事は諦めなければならない。具体的には、誰もが知っている大企業には入れないし、それゆえ現場での研究職、開発職に就くのは難しい。しかし人生はそれだけではない。このようなデメリットを受け入れた上で、人生設計をすればいいのであり、焦る必要はない。

私の場合、神経症により高校の授業は殆ど身についていなかったので、本格的に勉強を始めたのは浪人してからだった。普通の人でも、本格的な受験勉強は、大体高校2年の夏ごろからはじめ、2年間近くで完成させるものだろうから、それを思えば、2浪は仕方がなかったと思う。実際に私は、2浪の夏に偏差値が急激に伸びた。普通の人はこの時期が高校3年の終わり頃に訪れるのだろう。

ところで、私は二浪の時に実力相応の大学で手を打っておけばよかったのだが、当時つき合っていた子に影響されて、前々から行きたいと思っていた国立大学を受けてしまった。そのおかげで滑り止めの私立大学に進学することになった。その大学に行くことは私にとって屈辱だったので、そこに籍はおきつつも、また勉強を続けた。次の年のセンターは、まあまあの得点率だったので、安全な所を受けようとしたのだが、プレッシャーでウツになってしまった。だから、私は履歴書上、2浪1留という扱いで、三年ずれて卒業している。そして、2浪の時と比べて、3年ずれた事により、デメリットが急激に増大したのを感じた。

結果的に通学せざるを得なくなったこの大学を私は忌み嫌っていたのだが、昨今になり、過去の同級生の動向を見ると、同期は、まあまあそれなりに出世しているようだ。大学業界にいる者も少なくないし、マスターまで行った人の場合、企業に就職した者も、研究職としてアカデミズムに関与している。だから、私が思うほど周りは馬鹿でもなかったのだろう。(というか、要領の悪い自分の方がよほど馬鹿だったのかもしれない)。それならば最初に入学した年から普通に通い、2浪に留めておけばよかったんじゃないかと思うことがある。


「あこがれの大学」または「あこがれの大学生活像」というのは誰でも持っていよう。だが、そこに行って「あこがれの生活」を送れるのは、一浪か、せいぜい二浪までである。それを越すと、もはや思っていたような生活は送れないし、リスクの方が増えてくる。多浪を考えるときは、このような事を念頭に置きながら決断する必要があろう。