学会で行方不明と男女のつながりについて思う

秋は学会シーズンである。私は社交は苦手だが、まだ若手の部類に入る人間なのであちこちに顔を出す必要がある。あまり馴染みのない学会は、その後の懇親会で話す人がおらず、心細い。馴染みのありすぎる学会は、もちろん居心地よく楽しいのだけれども、長年のしがらみに満ちた人間関係の中で上手く立ち回らねばならないので、それなりに気を遣う。私は学部から同じ領域にいる人と比べれば、20代前半の人生で一番恥ずかしい時期を見られていないため、まだまだ気は楽だけど、それでも、10年も同じコミュニティーにいると、何かと個人情報も知れ渡っており「○○さん、このあいだ××だったんだって?」と、思いもかけないプライヴァシーが皆に知られていたりして、驚くことがある。

さて、以前ここで書いた行方不明の学生たちだが、今回の学会で、思いがけずその消息を知った。行方不明その1、無名大学の院に進んだ学生は、その後、進んだ院で学位が取れず退学し、今は無職でいるという。当時の同級生に、悩み相談の電話をかけてくるそうだ。私はその結果はある程度予想していたので驚かなかった。彼にとってこれからは茨の道だと思うが、まあ、そればかりは自分で乗り越えるしかない。

心の病を抱えていた行方不明その2とは、予期せず今回の学会で出会った。端から見る限り、統合失調症だろうと思うのだが、容態は安定しているようだ。薬によるコントロールが効いているのだろうか。しかし軽いとはいえ症状は続いているようだし、そもそも、すでにアカデミアに所属はなく、40歳近くにもなって、無職である。恐らく親に仕送りをしてもらっているのだろうが、彼がそこまでアカデミアにしがみついているのを見ると、親を責める気持ちにもなれない。私の周りにも、子持ちが増えてきたし、大学で教える学部生とも、親子ほどに年齢が離れつつあるので、最近は、親御さんの気持ちになって物事を考えるようになった。ご両親はもう、彼の大学業界における出世は諦めているのだろうし、無職の彼が、そのような場所に参加すればするほど恥をかくことには気づいているものと思うが、それでも仕送りを続け、彼を支援するのは、せめて彼の自尊心を支え、少しでも幸福に日々を送ってもらいたいという気持ちの表れなのだろう。そう思うと、切なくなってくる。

前には書かなかったが、私の周囲には、行方不明3もいる。昨年、都内の学会で会った3を、今年は見なかった。3は指導教官と喧嘩してドクターを辞めてからは、あちこちの大学で研究生や無給の研究員として暮らす、流浪のアカデミア生活を送っていて、最後に会った時は、とうとう大学の肩書きもなくなっていたので、業界から身を引いたのだろうか。妻子がいたから生活もあろうし、そろそろ潮時だと思って帰郷したのかもしれない。

さて、標題に書いた男女のつながりであるが、狭い業界にいると、同じ学会の中で、身近な男女がくっついていることがままある。もちろん周囲の者はそれに気づいているけれども、知らない振りをするのが大人の礼儀である。そのように見てきた男女が、いままで何ケースあったことか。しかし今回、その手の関係で、少し思うところがあった。
大学院を出てから数年を経た今、生き残った者と、消えていった者が、明確に見えだしている。学会内でつきあって、女子が出世し、男子が行方不明になったケース。男子が出世し、女子が行方不明になったケース。消えていった側は、無職やワーキングプアとして、職業が定まらず今も悶々と暮らしている(であろう)一方、残った人間は、10歳以上年の離れた女子なんかと結婚したりして、最近は家を建てた人物もちらほら見受けられる。彼らを見ながら、その背景で消えていった院生たちを思い出すと、なかなか感慨深い。生き残りの厳しい業界内で、つき合った院生がともに学者として成功することが少ないのは分かるが、数年のうちに、つき合っていた二人の状況がここまで変わる現実を見ていると、時間とは残酷なものだと、しみじみ思わさせられる。

そのような気持ちになりながら都内に戻ると、すでにクリスマスの季節になっていた。独身の後輩に「毎年学会が終わるとクリスマスになるね」と話しながら電車に乗った。どのように過ごすかは聞いてもムダなので、それ以上何も話さない。彼と私は来年の学会シーズンも、またこのようにして迎え、終わるのだろうか。そのように考えていたら彼が「私は来年任期切れなので、次の学会ではどうなっているか分かりません」、と。
時間は残酷だ。皆(と私)、頑張れ。